難聴者とマスクで思うこと
しろりん(♂)です。
こんなニュースが流れていましたね
「マスクで隠さず唇を見せて」聴覚障害者の願い、ネットで拡散(篠原修司) - 個人 - Yahoo!ニュース
これね、僕も当時は分からなかった。
でもその前にこのブログで難聴者の定義を先に決めておきたいと思います。
とりあえず、聾学校に通ったことがない、聞こえない人/障がい者手帳をもつほど聞こえない人
としておきます。
聾学校に通っていた人は聾者としての誇りがあったりしますし、アイデンティティがあったりすると個人的には思っているので。
もちろん私が言う「難聴者」の中にも「聾者だ」って思う人もいますし、各人の思い等々を入れると無限に考えられるので、とりあえずこのブログ上では上記の定義としたいと思います。
さて、このニュースですが、やっぱり
話せる、もしくは補聴器を付けている=聞こえるって勘違いすることから始まるのではないかと思います。
しかも、聞こえる人だって何回も聞くこともあるから猶更分からないですよね。
松葉づえをついている人は足が悪いとわかる。
義手を付けていると、手に配慮しないといけないと思う。
だけど、補聴器は万能って思ってしまう。
補聴器をじゃあわざと取っても、話せるから(相当な努力が必要だってことは、付き合っていた女性から聞いている)聞こえると思われている。
難しいよね。
まずはここからの啓蒙なんだと思う。
手話使ってても一緒だと思うしね。
そういう意味でこういったことがニュースになることは良いことだと思う。
だからと言って、一つにカテゴライズすることも誤解を生む。
例えば発達障害と名前を付けるだけで劣っている印象を与えるみたいな。
発達障害でも有名大学出ている人結構いるからね。
むずかしいね。