聴覚障がい入門
しろりん(♂)です。
野郎だらけの手話サークルに入った私ですがとりあえずは入ったからには
少しは勉強しようと思っていました。そのうち可愛い子も入ってくるだろうと。
可愛い子入ってくれば、彼女ができるわけではないんですけどね(笑)
鏡見てから言えよって今の僕は昔の僕に言いたいです(笑)
そんななか、入った人たちで自己紹介とか、先輩たち(こちらは美人さんが多くてやる気が出ました)と色々話すわけです。
野郎たちの中には、聞こえない人もいました。
どう接して良いか全くわからないわけです。
まずびっくりしたのは、同じ大学に聞こえない人がいるということでした。
「障害(がい)」って聞くと、健常者よりも全てにおいて劣るというイメージ
を正直持っていたからです。
結局は耳が聞こえない/聞こえづらいだけで、他は普通なのに、イメージ先行で区別や差別をしているんだなあと反省した瞬間でした。
聴覚障がいを病気というかどうかは人によってとらえ方はあると思いますが、
言ってしまえば自分が患っている喘息と同じだなと。
ちなみに、聞こえない人のイメージは
CHEMISTRY のPIECES OF A DREAMに出てくる人や
手話しか話さないみたいな。
こういったイメージにせいでなかなか理解が進まないだろうなあと今では思ってます。
まず
・聞こえない人=学力が劣る わけではない
・聞こえない=手話 ではない
・補聴器を付ける=聞こえる わけではない
・言葉を話せる=聞こえる わけではない
っということですね。
普通に大学出ていて、頭良い人もワンサカいますよ。
強いて言えばそういった人はめちゃくちゃ本を読んでいて、そこから知識得ているから国語力は健聴者よりあるんじゃないかなあと思うほど。
まあ、これは漫画専門でほとんど本を読まない僕との比較ですが笑
知識豊富だなあとうらやましく思ったこともあります。
障がいとの出会い
しろりん(♂)です。
喘息のことはこれからも書いていきますが、
障がいについても色々と書いていこうかと。
喘息と共通することのみ書くということではなく、
障がいを持つ人と出会ったこと、出会って思ったこと、ニュース等について色々書ければ良いかなあと。
あとは障がい者の雇用とかですかね。
自分がこういうことに関われているのは、今思えば、自分が喘息なため、いわゆる普通と違うことは小さいことから認識していたことにより比較的病気や障がいについては抵抗がなかったからなのかなと思います。
ホントのホントの最初の出会いは叔母が知的障害を持っているため、出会いというよりは自然な感じです。
叔母については田舎に住んでいるので、年に何回かしか会わないにしても
母親と喧嘩したり、母親が優しくしたりするのを目の当たりにして、大変だなあと子供ながらに思っていました。
自分の知識の方が、叔母よりもあるというのも変だなあとか思ってたりもしました。
ただ、それについては、物心ついたときからそんな感じなので、特別に意識することもなく、普通に過ごしていたというのが本心です。
意識して出会ったのは、大学のときに手話サークルに入ったことでした。
入った理由は単純明快。
優しくて、可愛い子が多いんじゃないかという、アホな考え方からでした。
ただ、同じようなよこしまさんが多かったので、結局は男ばかりという、最悪な展開が待っていました。
深刻な嫁不足に陥りました笑
喘息のお子さんを持つ親御さんに言いたいこと
しろりん(♂)です。
おはようございます。酔っぱらって書こうと思ったら寝てしまいました(笑)
今日は寒暖の差で具合悪い人が多そうですね。
自分も具合が悪くなるまではなっていないですが、ちょっと寝苦しかったです。
ぜんそく天気予報 |チェンジ喘息!なるほど ぜんそく.com
色々経験談を説明する前に、喘息を患っているお子さんを持つ親御さんに言いたいことがあります。
先が見えず、子供以上に苦しんでいると思いますが、
一緒に苦しんでくれていることを子供はちゃんと分かってくれている、
ということです。
色々書きましたが、子供からすると、喘息の発作が起きると
「具合が悪い、早く治して欲しい」
と思うわけですが、
「具合が悪い状態を理解してほしい。一緒に居てほしい」
とも思うわけです。
私の場合は、母が専業主婦にならざるを得なく、どんなときも一緒に居てくれました。
自分には弟・妹もいますが(ちなみに両方とも健康)、自分優先でした。
いつ病院に行っても良いように、臨戦態勢だったと思います。
しかも、しょっちゅう起こるのでぐっすりは寝られないですし。
勉強の管理も母親でした。
私の勉強の進捗状況が悪かったり、テストの点数が悪いと自分だけでなく
母親も父親から怒られていました。
今思うと、蛙の子は蛙です。
学力の上昇には無理があります笑
あまりにも疲れ果ててノイローゼになって、一緒に死のうと言われたこともありましたが、それ位苦労を掛けたと思います。
でも、ずっと一緒に居てくれたから具合悪くなったときもすぐに対応してくれて、
ずっと色々と足掻いてくれたからこそ、少しずつ良くなっていったんだと思います。
喘息を持って、なぜ生まれたのか、
何故喘息持ちとして産んだのか
と子供ながらに思っていましたが、
段々と病気を受け入れるようになって、その気持ちは感謝に変わっていきました。
いつまで経っても過保護だったため、嫁と実家に行った帰りは必ず
何であなたはいつも王様なのかと怒られますが笑
でも感謝の気持ちは忘れていないです。
今後どれだけ恩返しできるかって感じですね。
なので、いつかは分かってくれると思いますよ。
辛いとは思いますし、周囲は「大変ねえ」の一言で片づけてしまうと思いますが
一番身近にいる子供が一番感謝してくれるようになると思いますので
頑張っていきましょう。
立派なマザコンが出来上がりますよ笑